子供の頃”人間ってなんだろう””自分ってなんだろう”と考えたことのある人は多いんじゃないかと思います。
私の場合はそれが小学校2年生の頃から始まりました。当然考えたところでなにか答えが見つかるわけでもないし、学校の宿題や次のピアノの日までに練習しておかなきゃいけない曲のことやスイミングのレッスンなどに紛れて普段は忘れている程度の疑問でしたが、心のどこかにいつもある類のものでした。
当時の私は、やたら勉強はできるけれど同級生の気持ちや行動原理がわからない、融通の利かない子供でした。
ある日の自習の時間、何がきっかけだったのか”男子VS女子”という諍いが起きたことがあります。男子の何人かがクラス委員だった私に「お前がどうにかしろ」と言ってきましたが、”男のくせに、女のくせに”というケンカだったので、「じゃあ隣の男女がお互いの方を向いてごめんなさいって言ってください」と言って大ブーイングが起きたことがあります。
みんなはひとつひとつの言い分をジャッジするよう求めていたのに、私は男女という大枠で見ていたんですね。
私の小学校生活はそんな感じで、ある部分は妙に認められているけれど人間関係は突き抜けて下手、それなりに遊んだりする友達はいても”誰とも話が合わないな…”と思いながら日々を過ごしていました。
「趣味は?」とか「好きなことは?」とかって聞かれたら「勉強と読書!」と答えていたのも空気を読めてない感じがバリバリですが、自分としては知らない世界を知るのが本当に楽しかったんです。
でも、相手は「お、おう…」みたいになっちゃうんですよね。毎日”私には話せる人がいない、私はここに属していない”と思っていたんだから、周りも一歩退いて当たり前だったと思います。
中学受験も終わり、小学校生活も残り2ヶ月くらいの時期にそれは起こりました。
友達と数人で家に帰る途中、家の近くの曲がり角で立ち話をしていたとき、突然目の前が明るくなり、陳腐な言葉になってしまいますが雷に打たれたみたいな衝撃を感じました(マンガの吹き出しでよくある”ガーン”が一番近いような気がします)。
え?と思いながら前を見ると、目の前で話をしている友達は私でした。驚いてあたりを見回すと、犬の散歩をしているおじさんも、連れている犬も、目に入るすべてのものは私でした。ムーミンに出てくるにょろにょろみたいなものが地球から生えていて、そのひとつの突起が私だ、と感じました。
この瞬間、地球上にいるすべてのものは地球に結びついていて、その全部は私が違う形を取っているものだということがわかったんです。それと同時にすべてのものはグレーの濃淡でしかなく、真っ白なものも真っ黒なものもないんだということもわかりました。
何が起きたのかよくわからずにフラフラと家に帰り、一族きっての自由人と言われていた、わかってくれそうな叔父に電話をかけました。
出版社勤務の叔父は家にいて、私の話を聞くと「おまえ、それは哲学だよ」と言いました。「自分にはそんな経験がないからわからないけど、それは哲学書に書いてあることだ」と。12歳だった私にはよくわかりませんでしたが、それまで”いいこと、悪いこと”をきっちり線引きしていた…二元論で物を見ていた私はその日を境に消えてしまいました。全部が私なんだから、いいも悪いも許すも許さないもないわな、ってなってしまったんですね。小学校生活の残りは友達と楽しく遊び、もったいないことをしたな、もっと心を開いていろんな話をすればよかったなと思うようになりました。
これに似た体験は”悟り”と関連して語られることが多いですが、”悟り”が何もかもを超越するという意味で使われるなら、この体験と悟りとはまったく関係のないものだと私は思っています。
これはただ”この瞬間にだけワンネスと呼ばれるものを体験した”だけで、持続的な、もしくは再現可能なものではありませんし、私が人類愛に目覚めたということもなく、単に”人と違っても仲良くはできる”だったり”身近にいる人、自分の手の届くところにいる好きな人たちが必要なときにできる限りのことをする”程度になっただけです。
私にとって一番大きかったのは、“自分も他者もそのままでいい、自分が相手を認められない気持ちになったらそっと離れるだけでいい”と思えるようになったことでした。
人間として生まれてきた以上、私は”人間を超越する”必要はないんじゃないかと思っています。古事記などを読むと神様ですら怒ったり引きこもったりしているんだから、人間が悩むのは当たり前なんですよね。
スピリチュアルな方法論を身につけたり修行するのは大好きですが、あくまでも楽しみながらできたらいいなと思います。
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高橋ハナ
多くの生徒を占い業界に導いた講師でもあり、肩の力が抜けた、気持ちが楽になったと相談者に好評いただいている現役のスピリチュアリスト。「きもちわるいスピは嫌い」と公言し、スピリチュアルを日常生活に落とし込んだ肩の力が抜けたアドバイスが特徴です。多くの技法を組み合わせた鑑定となりますが、未来を「知る」より「創る」ことに重点を置いています。