門松を立てると、そこにこの一年に福をもたらす歳神様がお座りになる。
鏡餅をお供えすると、その餅に神様が宿る。
ごちゃっとした部屋や通路じゃ神様も通れない。
汚れたところもちょっとイヤ。
何日も経ったお水は神様だって飲む気になれない。
御神酒は?お節は??
それから、それから・・・
それとなんでしょう、とにかく歳神様にいらして戴けるようになっていますか?
歳神様はその一年間に福をもたらして下さる大事なお方です。
常若な松や竹のい~い香りに誘われていらした歳神様が、更に家の中にあるお供物(鏡餅・御節)の美味しそうな香りに誘われ、床の間や神棚に至るまでの道のりに障害物がなかったものだから、ついつい家屋の奥まで入り込んで正月中居座ってしまった・・・。
これがお正月本来の目的であり、目的の真髄には “円満に年を重ねる” という祈願から二重に重ねた鏡餅へ、歳神様に宿っていただくことにある。
歳神様の宿った鏡餅は、その一年を力強く生きていくための力の源。
このとんでもないパワーフードを「年魂」と呼び、家長が家族それぞれに分け与えた。これが「お年玉」となったため、お年玉は目上から目下へ与えられる習慣となったらしい。
現在の鏡開きは1月11日。ちょうどこれからですね。
そういったわけで、1年に一度しかいただくチャンスのない「御歳魂」を戴くには、なんとしてでも歳神様にいらしていただかないとなりません。
稲穂も見事に育ち、この年をみな無事に生きてこられたことを、歳神様に感謝する。
稲穂が育たず飢饉にさらされた年は、歳神様への感謝が足りなかったと反省し、落ち度のないよう歳神様をお迎えする準備をする。
祈りが先か、感謝が先か。
“ありがとう” と互いに想い合う心は、二千年以上の年を繰り返してきた神様とのリレーションシップ。
ここが円満であれば、私達もだいたい円満に生きていくことができる。
さて、いらしてくださった歳神様にも帰り方がございます。
小正月にあたる1月15日(厳密には14日の日没〜15日の日没)に、門松をお焚き上げし、その煙に乗って戻って戴きます。
歳神様にはこの1年いろんな役割が待っています。
春には田の神役、秋には山の神役。
民が繁栄するよう尽力くださった御礼の印に、収穫祭に献上された食材「節供(せちく)」で御馳走をこしらえた「御節供(おせちく)」を用意します。
三が日は火も包丁も使わず、全ての神様に休んでいただきます。
祝い箸の両端がつまめるようになっているのは、片方は神様が使われるためとのこと。
歳神様の与えてくれた全てに感謝し、また新しい魂を頂戴し、またそのことに感謝する。
生活の中には、いつでも感謝が溢れているほうがいい。
願いが先か、感謝が先か。
感謝は幸せと表裏一体。
叶えたい願いがあるのなら、目に入る全てに感謝をしてみるといいでしょう。
八百万の神はその感謝を喜び、きっと度々遊びにきてくださいます。
出典参考:正月
https://ja.wikipedia.org/wiki/正月 wikipediaより
【コラム・いけばな】赤木マキ
赤木マキ(華道家/DJ)華道家元池坊 いけばな正教授
1997年よりいけばなを学び、2003年より個人創作発表を開始。
都内クラブをベースとしたパフォーマンス、企業レセプション装花等を経て、植物関連等のコラムを執筆。花と植物そのものの計り知れないエネルギーを敬い、人と植物と宇宙の関係性を研究する。akg+、makiAKAGIの名義にてDJ・音楽活動を行い、いけばな・音楽ともにその可能性の拡張と概念の更新を理念としている。http://akagimaki.x0.com
写真:井田宗秀 http://ida.viewbook.com